にんじんかたい

よく煮込むと柔らかい しかし面倒

下向き世界への拡張 2026-06-16

初拡張

成人を超え、定職についてみると、新しいことというのは能動的に出会いに行かないと触れづらい。

ということで友人が計画していたバンジージャンプに首を突っ込んで参加してきた。

色々省くけれど、やってよかったかでいうと、バカみたいな遊びなので別に全人類がやるべきではないと思う。

だけど日々死にたいとか思ってしまう私にはちょっとお高めでよく効く素敵な薬みたいな感じだった。

飛び込むときは自分の意志だけで飛ばないといけなくて、あとでカメラを見返したら「いきます!」と宣言してから飛んでいた。元気がいい。

飛び出すときは雲の方を見ろと言われて、その雲に近づけと踏み込んでみた瞬間に「やらかした!」と思う。そしたらすぐに落下が始まる。いつも瞬間すぎて知らなかったが、落下には始まりも、終わりもある。

浮遊感が過ぎ去っても落下は終わらず、ただ落ちている時間が来るのが不思議だった。

梅干しの種の中にあるという柔らかいやつ、とか、もうないと思っていたマトリョーシカの更に小さいやつ、とか。そういうタイプの未知との遭遇だった。未知とはいえ、USJのジェットコースターに似てはいるのだけど、落ち続けると浮遊感は過ぎるらしい。

それから、落ち切ったゴムはびよんとたわんで、人間はバウンドする。

これがいちばん怖かった。

これから落ちる、と思いながら引き上げられて、その通り落ちる。

ゴムの伸縮性がたっぷりと内臓を無重力っぽさに漬け込んでくるのだ。

というか、落ちる前にあらゆる「力」が自分を知らんぷりするような瞬間があって、その瞬間、多分、へその緒とかが切れた瞬間の赤ん坊とかと同じタイプの不安がどかっとやってきて、次の瞬間には化け物じみた重力に引っ張られるそのギャップが物理的にも精神的にもこわかった。

多分地獄とかも、これから血の池地獄とか、針地獄とか案内はあるんだろう。でも案内があったとて怖いもんは怖いということもわかった。

途中の録音に「これ、ブランコだ」という言葉が残っていた。衝撃のゆったりとした往復はたしかにブランコのような瞬間もあったけれど、その言葉によってもたらされたのは安心ではなくブランコへの恐怖だった。巨大なブランコはたぶんめちゃくちゃこわい。

終わってから這う這うの体で近くの観光センターに転がり込み、各々甘いものなどを食べた。さっき数十メートル落下したこの体が、今は普通にかき氷を食べている、というのがなんだか変な感じだった。冷たさが口、喉を通過して胃へ落ちていった。

その他印象的な世界

・参加同意書(けがする可能性があることを了承して参加しますと書いてある紙)にサインをするよう求められたのだけど、中段あたりに「ジャンプの結果した小さいけがについて損害賠償を求めることは、ボクシングジムに入会し、リングに上がって殴られたときに賠償請求するようなものだ」みたいなことが書いていて、同意書に比喩はダメだろと思った。遠路はるばる来たのでサインはした。

・橋から飛ぶんだけど、待っていたらおばさん二人が「何度もここには来たことがあるけれど、飛ぶ人を見たのは初めて!」と喜んでいた。1人目の落下を見てバスの時間があるからと去っていったらしい。この時間に来てよかったなあと思った。

・バスを逃したので道を歩いて行ったんだけど、突然ハイキング用くらいの山道を歩くことになり、驚いた。し、熊とか虫とか怖かった。途中で友人が「落ちる分くらいは昇ったね」と言っていて、歩いた登り坂の高さ全部分落ちたら本当に死ぬだろと悪態はついていたものの、今思うとそんな感じで苦労してへとへとになった判断力だからなんとなくえーいと飛べたのかもしれないな……と思った。喉元さえ過ぎれば何事もポジティブに考えてしまうのはもはや悪癖か。

とりあえず私にとってはいい経験にはなった。

そこそこ高いお金を払ってでもやってよかった。

明日のラッキーアイテムはもちろん命綱。では。

明点滅 2026-05-28

釈明

昼休みとか眠る前とか、Twitterの無駄すぎる閲覧が増えてきたなと思ってようやくブログを書くことを思い出した。私はすぐに忘れることが多い。

私のTwitterは、家族や夫婦にまつわる過激な独り言や笑いを誘う奇妙な文字列ばかりなのだけど、最近は、とあるVtuberがゲームのキャラクターと3Dライブで共演したことに対するあらゆる角度からの批判・擁護・攻撃・分析で満ちている。

満ちているというか、数が多すぎて私のタイムラインにも漏れてきているという感じかも。

私自身はVtuberの概念が好きで、そのゲームもかなり好きな部類だったので、初めて見た時に「平和で楽しそうだ。こんなに炎上しそうなことをやるとは、よっぽどやりたいことだったのだろう」と思ったくらいだった。

それでまあ、SNSの蓋を開けたら、それはもう元気よく荒れていた。なんというか、こういう騒動があるたびに、ここまで怒れる人のなんと多いことやらと思う。

不平不満を感じた時に、怒り、改善あるいは再発防止のために動ける人間がいたから人類はここまで進歩したんだろうな、というのは常々思っているが、こんなにいたんだ。

あと、私は普段怒らないから、違う性格の人すぎて怖かった。

それから、こうやって私が自分と相容れない人のことをらくらくと記述しているように、自分とは違う(そして正しくない)と思った対象について、人は思いのほか道徳心を失いやすいんだな〜ということを実感した。

早くこんな喧嘩終わらせましょう。

その他

そんなことより昨日のハンバーグが妙に美味しかったことの方が大事です、と言おうとしたが、この妙な話題の逸らし方は、私が親に与えられたもののうちかなり疎んでいる方のやり方なので直そうと思う。

天気が良くて、眠いです。

仕事は、かなりやばいです。あぐらをかいていては、寝首をかかれます。

ラッキーアイテムはフォーマット。では。

心変わり 2026-04-19

一応毎日書くぞと思っていたコンテンツだけど、別にこれで飯を食っているわけでもないので書けない日もある。

書かなかった日の分をさかのぼっていくつも日記を出すのをしばらくやっていたけど、あれもあれでなんだかすごく気疲れするので書かなかった日は次に書こうと思った日記に統合することにした。

日記は生きているので、ようすが変わったってかまわない。

前菜

・4月18日

朝から髪を切った。ウルフにしたかったのでウルフにしてもらったが、自分の髪が多いのか、思ったより襟足がもっさりした感じになってしまった。鹿の足を所望したら熊の手が出てきた感じ。間違いなくそれもそれでかわいかったのだけど、次はもう少し襟足がばらばらになるようにお願いしてみようかな。

映画を見に行った。「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(字幕版)。

本当に劇場で、リアルタイムで見ることができてよかった。

小説は理詰めのエンタメで、映画は感情のエンタメだった。途中からすべてに感情的な機微を見出してしまい、涙が止まらなくなってしまって大変困った。映画館は断続的に泣き続ける人がいることを想定していないような気がする。

母から聞いた話だけど、小学校2年生の時に私は「カールじいさんと空飛ぶ家」を映画館で見て、母親が隣で消えてしまいたくなるほどガッツリ号泣していたらしい。

その時は存命だった両のおじいちゃんにひどくなついていた子どもだったことが理由だと思うのだけど、映画館で子どもが想像以上に号泣したときの親はどう対応するのが正解なのだろうか。まあ、退場なのだろうけど、あのころの私は「ここから出ようか」と腕を引かれたら大声で「なんでカールじいさんの続き見れないの!!」と反抗していただろうから、最後まで見せてくれた親に感謝するほかない。

その記憶がトラウマで、まだ二度目のカールじいさんは鑑賞できていない。

そのあと、HUBという酒場チェーンと「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(通称:シャニマス)がコラボしていたので、そこに行く。私以外はシャニマスのオタクだったのだけど、私はシンプルにHUBが気に入っていたのでお邪魔させてもらった。

色々と食べのみをして、オレンジジュースが入ったカクテルはだいたい好みに合うということがわかった。あと、お酒を飲みながら好きな音楽を聴くのは楽しい。あと、シャニマスのことを考えるのは力を必要とする。

その後、その日遊園地に遊びに行っていた友人たちも合流して二次会をした。不思議な空間で、私はお酒はもういらなかったので巨大な(本当に巨大というほかないくらい大きい)ウーロン茶を2杯飲んだ。

そのあとさらに残った人間でカラオケに行き、知らない曲を歌いこなす友人を見て、私は何の音楽も歌えない……と自虐的になり、声が枯れた。

帰り道とシックス・フィート

そのまま友人宅で寝かせてもらい、午前中には一度帰宅。その後、高校の友人と2年ぶりくらいに会い、わんさか話をした。

お互い意識して「あの頃のように滑らかに話す」という風にしているようすがあり、非常に話しやすかった。ただし注意すべき点が一つあって、私が知るその友人というのは、非常に難しい性格をしている。非常に気が利いて、話が面白く、見た目も美しいのだけど、どうやら口がめちゃくちゃ軽い。一応口止めが必要なやつはしておいたけど、まあ、なんとかなるだろう……。

あと、何時くらいに解散するのが心象的にベストかと思っていたのだけど、どうやら解散後彼女は別の友人と合流する手はずだったようで、それのおかげでお互い気持ちよく解散することができた。よかったよかった。

ふれるふれない

プロジェクト・ヘイル・メアリーのネタバレの話になってしまうのでここで潔くやるぞ。

fse.tw

やった。

その他

というわけで、仕事だって火の車なのに休日も火の車みたいに忙しくしてしまった。

明日のラッキーアイテムは時計。時間を大切に。では。

最初からこうすれば 2026-04-15

られる

今日あったことを並べる。

・話し方のテンポが合わない先輩に対して若干喧嘩腰みたいな喋り方になってしまうの、やめたい。でも休み時間に本を読んでいるときに話しかけてくるのは違うと思う。

・パンをいっぱい買った上にお菓子を買ってしまった。母親が太ったね~と言ってくる。返す言葉もございません。目の保養の先輩が全然視界に入ってこないので、腹を満たすほかない。

・今日の夜は特に機嫌が悪くて、自分を含めたすべての存在が気に入らなかった。雨と気圧のせいということにして丸い解決を図った。

Amazonで本を買ったけど、「本日到着予定」のままこの時間(22時20分)になってしまった。もう今日は仕事しなくていいから、何とか頑張って届けてほしい。

文庫本3冊だからトラックの溝とかに滑り込んで誰も取り出せないなんてことにはならないでくれ。

買ったパンを全部食べられなかったので職場の冷蔵庫に入れておいた。間違えて食べられたら誰もが悲しい気持ちになるだろうなと思ったので、シールを目立つところに貼って、これは誰かが確固たる意志を持って保管していますという格好をしておいた。こういうのは形から入るのがいちばんいいんだ。

それはそうとしてマッキーで黒々と自分の名前を書くのははばかられたので、かなりおとなしい感じになった。意外と自我を出すのって難しい。

あと、別の場所で勤務している先輩に時々チャットで質問をするのだけど、私はその先輩のことをとてもとても尊敬しているから、一周回って慇懃無礼な感じになっていないかめちゃくちゃ心配である。対面で会えていれば精一杯の笑顔もできるんだけど。

その他

お菓子いっぱい買ってきたけど歯磨きしちゃったからもう食べられない。

そういえば最近買うお菓子が全部ブルボンになってきている。チョコビスケットのやつとか、特においしい。

で、あとそれと気づかずに買ってきたフェットチーネグミを裏返したらそれもブルボンだった。包囲されており、逃げ場はない。逃げボンだ。

明日のラッキーアイテムは長い棒! 長さの目安は自分の髪の毛。では!                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

逃げろ! 2026-04-14

追い立てられている。時間と、春に。

外を歩きたいと思ったころには側溝に足を突っ込みそうなくらいの夜になっている。

俳句をやっていたころ、春と字余りをなんだかこねくり回した俳句を作った。

春立ちて 字余りの句が 愛しけり みたいなやつ。春に余剰や不足が特別にやわらかくいとおしく見えるという感覚は今もなお変わっていないみたいだ。

春がすべてをあいまいにしていく感覚は途方もない幸福をもたらしてくる(だから春は変な人がたくさんになる)というのに、人々は人々を互いにまっすぐにしようとしている。春というのは、そも気候というのは人間を滅ぼすための自然兵器なのかもしれないのに、だからこそ人々は滅びたくてしょうがなくて、花見なんかをしてしまうのかもしれない。

春は、そう。あたたかで、体温みたいな(もちろん体温よりは低く、まるで体温みたいに心地いいという話で)感情を持っている、おそらくいきもので、やっぱり、大きな生き物に抱きしめられて死にたいというような、ふたしかで不純な感情を想起させる。

そして人間はそれをひもみたいにしてなぜか自分をしっかりと現世にくくりつけているし、桜は一瞬の美しさを散らしながら木の幹を地面に貼っている。ばかげている。非常に馬鹿げている。無常な春を見てさらに無常で無益な文章が頭を占めてしまうことすら春であると言えるのか。春を大きく、そして鈍感な生きものであるとするのなら、それは寛大であるから許されることなのであろう。

その他

今日は春について曖昧模糊(世界一かわいい四字熟語)なことを言っていたら時間が過ぎ去ってしまった。

時間は春を透過している。

明日のラッキーアイテムはガラス。では。

オソーキ 2026-04-13

方向メトロ

昨日のブログを書けなかった理由ってなんだろう。眠かったから、あるいは、午後休を取ったために逆に一日の終わりがどろどろしていたから。多分そうだ。

しょうか

「華氏451度」を読んだ。

なぜか現代の有様を描けてしまっているという意味で、「1984年」と似ている。そうだよな、「現状」とかじゃなくて、「有様」という言葉が似合うような、そうやって苦い味にしてやるぞという作者の気概がある。

こういうディストピアものに共通なのか、たまたま私が読んだ2冊がそうなのか、主人公はある時、「支配された自分」という客観的視点を得て、それで一時は「無知の知」みたいなのをひけらかして手痛いしっぺ返しを食らう。

それでもなんとか聡いものに手を差し伸べられてもう一度立ち上がって、物語は終わったようで終わらない。

そのぬるぬるした読後感は決して気持ちがいいものではないけれど、なんだかちょっと癖になってまたいつか読むべきだと思う。

全体的にいつもそうだ。ディストピアものは、これまた偏見で、やたらよく効く一方でやたらと依存性の高い鎮痛剤とか抗うつ剤とかを備えていて、そういう小道具が灰色の世界を無理やり極彩色と隣り合わせに引き合わせる感じがする。

何が言いたいかって、なんか、別に、特別にエンタメとして面白いわけではないんだけど、私はディストピアと呼ばれる世界で言葉を尽くして愚かにも考えつくす人間が結構好きだなということ。

その他

記憶が薄れていく。散歩がしたい。ラッキーアイテムはリンゴ。では。

自分の両目の名前 2026-04-12

めちゃくちゃ長編SF(翻訳)を読んだせいで、文体がそっちに引っ張られている!

鑑賞と推薦

旅行中と、帰ってきてからの時間を使って「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を最後まで読んだ。久しぶりに本を読んだ。めちゃくちゃ面白かった。

SFをたくさん読んでみようと思って買った本はあと2冊あるので、それらもそのうち読む予定にしている。

SFって、文章のうち何割かをよくわからない科学用語とその説明が占めていて、それをあまりにもすっ飛ばすとそれらがどんな問題を引き起こし、主人公たちがどうやってクールに解決するかがちっともわからないという、かなり難しい構造をしているように見える。だからこそ私も、これまで読んだSFにゲッと思ったことがあるし、「1984年」を苦も無く読めたのはそれがイデオロギーや言語面での近未来を描いたSF(しかもディストピアもの)だったからだと思っている。

けど、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は特殊な書き方でどんな読者も同じようなスピードで物語の中へ手を引くための仕掛けが素敵に準備されているし、そのあとも飽きたり尻込みさせたりすることなく「この先はどうなってしまうんだ」という「引き」を忘れずに仕掛け続けている。

それらが分厚い上下巻の本をぐんぐん進ませる推進力になっているみたいな気がする。

とにかく面白いので読んでください! 私は気に入ったし、ぜひこれを映像で見たいと思ったので来週は都会まで映画を見に行くことにした。劇場版名探偵コナンのシーズンが到来し、田舎では字幕版の上映が終わってしまったようなので。少しだけ残念だ。

とりあえず本についてはいったん宇宙服を脱いで、次は「華氏451度」に挑戦したいと思う。読み切れますように。

その他

なんか、旅行を終えて帰宅して、睡眠をとるまでのその時間ってすごくあいまいで、昼でも夜でもないような気がしている。そして気が付くと本当の夜がやってきて、私が寄るかもしれないと思っていたものがもはや朝だったような気がしてくる。

それは少しもったいないことのようで、その時にだけ生まれる、食事や時間割やシフトや予定にとらわれない真に自由な時間である感じがして、非常に輝かしい。

あと、今回の旅行の移動について、往路は車を乗せてフェリーで、復路は陸路でしたのだけど、フェリーって素晴らしい。前に一度乗ったときはその揺れが少し怖かったけど、今回の船旅はとても快適で、私の中でフェリー=巨大なゆりかご説が強まった。

海は母である。ならばフェリーは、母が手ずから揺らしてくれる人類のゆりかごである。そういう寸法だ。

ノアの箱舟がトロッコや自転車ではなかったのはきっとそういう理由があったに違いない。あるいは、ノアの箱舟はこういう妄言を許してくれるに違いない。

明日のラッキーアイテムはにんじんです。原点回帰で。では。